『往復書簡 無目的な思索の応答』こちらの本、読みました。
こちら又吉直樹さんと武田砂鉄さんの共著となります。
この共著の存在自体は以前から知っていたのですが、その頃は「武田砂鉄って誰?」という状態でした。
あと、なんというか「タイトルがかっこよすぎるな。ちょっとハードル高そうだな。」という印象があって読んでいませんでした。
それから数年が経ち、TBSラジオで何度か武田さんが話しているのを聴いて徐々に興味を持つようになりました。
以前記事にも書いたのですが、お二人がラジオで共演するとのことで「そういえばこの共著読んでなかったな」と思い出し、今回読んでみた次第です。
たしかにタイトル通りな内容でしたが、すごい読みやすかったし面白かったです。
お二人ともテレビ・ラジオとは良い意味でギャップがあり、楽しく読めました。
ということで今回はこの本についてアレコレ書いていこうと思います。
本の内容
まずはAmazonから抜粋します。
「ここでしか書けない」
言葉の在庫を放出した。言葉の世界にそれぞれ立ち向かう同年代の作家が、
一年半にわたって新聞上で交わした往復書簡。
それは、いわゆる「往復書簡」とはまったく異なる。
馴れ合いや戦略や俯瞰から遠く離れて、
記憶を掘り起こし、違和感を継ぎ足し、書くことについて考える。
流れから逸脱し、散らばった先でぶつかり合って、
思索が自由に泳いでいく。
「言葉への態度」をめぐる、個と個のあてどない応答の軌跡。
まえがき(武田砂鉄)とあとがき(又吉直樹)は書き下ろし。
こんな感じの本です。
Amazonから抜粋しておいてなんですが、読む前は上記の内容紹介を読んで、なんだか小難しい内容なんじゃないかと思ってしまっていました。
実際に読んだ感想としては、小難しい内容はほとんどなかったです。
触れている話題は小さく狭い部分だったりもしますが、難しさは感じなかったです。
あと構成も読みやすいです。
往復書簡の形式なので「又吉直樹 ← 武田砂鉄」で見開き2ページ、次の見開き2ページは「又吉直樹 → 武田砂鉄」という感じです。
それの繰り返しなので読みやすかったです。
また、ページ数も120ページくらいなのでサクッと読めます。
お二人が共演したラジオを聴いた時にも感じましたが、お二人のテンションやトーンには近いものを感じます。
かといってプライベートでの親交はあまりないっぽいので、馴れ馴れしさは感じなかったです。
一定の距離感があるかなと。でもそれが良かったです。
いくつか引用と感想
往復書簡の形式なので「又吉直樹 ← 武田砂鉄」もしくは「又吉直樹 → 武田砂鉄」を明示します。
実際の本もそうなっています。
二人の関係性
又吉直樹 ← 武田砂鉄
今回、こうして往復書簡を交わす運びとなったわけですが、又吉さんはコントにしろ小説にしろ、ストーリーを練り上げる職業で、こちらはそれらを受け止めて、感嘆するだけでなく、時には疑ってみたりもする職業です。近いようで、異なる場にいます。
こちら、本の序盤からの引用となります。
武田さんは現在フリーライターですが、元々は出版社に勤務して編集者をしていたようです。(調べてみたところ河出書房新社で編集者をしていたみたいです。)
引用にもありますが、「時には疑ってみたりもする」という部分に武田さんらしさが出ていて良い走り出しだなと思いました。
テレビやラジオとは良い意味でギャップがある
又吉直樹 → 武田砂鉄
創作者のくせに誰かに指摘された部分を正確に直し提案を呑むだけで作品を向上させようとするなら止めてしまえというのも正直な意見です。
又吉さんは本だと切れ味が増す印象があります。
テレビやラジオだともう少し柔らかい印象です。
以前「夜を乗り越える」を読んだ時も切れ味が良かった記憶があります。
今回も同じように切れ味が良く、良い意味でギャップを感じることができて楽しく読めました。
又吉直樹 ← 武田砂鉄
「自分だけがイイと力強く信じる」を信じて採択されたものの、芳しくない結果に終わった本があります。ある時、先輩が「私たち、偏愛の屍、作っちゃってるのかな」とボソッと漏らしました。偏愛の屍、刺さるフレーズでした。でも、偏愛の屍は蘇生します。古本屋で「愛が暴走してんな」と感じる本を拾い上げるたび、屍が蘇生します。誰かがイイと力強く信じていた本が残ってるって、つくづく愛おしいなと、毎日のように思います。
これはおそらく、武田さんが出版社で編集者をやっていた頃のお話と思われます。
又吉さんにギャップを感じる、と先ほど書きました。
武田さんにもまた違った意味でのギャップを感じました。
武田さんはラジオだと、基本ずっと同じテンション・トーンに感じます。
本だと少し砕けた表現が増える印象があります。ユーモアが増します。
ラジオ聴いてる感じだと「愛が暴走してんな」とか言わなそうなんですよね。
こちらも良い意味でギャップを感じることができて楽しく読めました。
表紙のデザインとリンクする
又吉直樹 ← 武田砂鉄
この書簡を始める前、又吉さんに一度だけお会いして、どういうテーマになるんでしょう、との話になり、どうしましょうかね、と何度か口に出してみたものの、出しっぱなしになりました。どこからともなく、日々感じている違和感について、ですかね、との曖昧なテーマが浮かび上がりました。その曖昧さに違和感を残したまま始まりました。で、そのままにしてみたところ、違和感を積もらせてきた記憶と、積もらせている現在を報告し合うような、違和感を嗜むやりとりが続きました。
こちら、本の終盤からの引用となります。
この「違和感を嗜むやりとり」が表紙のデザインで表現されてるのかなぁと思いました。
おわりに
ということで『往復書簡 無目的な思索の応答』に関してアレコレ書いてみました。
この本はドラマティックな展開があるわけでもなく、淡々と進む感じはします。
でもやっぱり楽しく読めました。そんな読後感でした。
武田さんをラジオである程度知った状態で読めたのが良かったのかなとも思います。
「武田砂鉄って誰?」状態で読むとまた違った読後感になったかもなぁと。
他にも印象的な部分がいくつかあったのですが、長くなりそうなのでこの辺で。